あんた、また大学に行くの?、いやいや今度は短大です

私は次の進学先を探しているのだが、その履歴を見たのかそうでないのか、親にあんたはまた大学に行くのかと質問された。本当は英語系の短大への進学も考えたのだが、ここは実学系の短大に進学して、そこを卒業した後に他の短大へ2年次編入しちゃおうという計画だ。さすがに就活しないとやばいし、博士後期の学生じゃないんだから、いつまでも研究だけを仕事にするというのは批判されて当然である。実学というものへの強い憧れと、その短大の所在地への深い思い入れを持ってすれば、ビジネスや法律の勉強もきっと楽しいはずだ。それだけ、進学したい短大だ。一方、英語系の短大を卒業すれば、文学の学位がもらえるのでそれもまた魅力的だ。その二つを3年間で達成するというのが、今後の目標になりそうだ。

リサーチマップのフォロー停止機能にドキドキ

昨年、リサーチマップに登録して、尊敬する研究者をフォローしたという記事を書いたが、このフォローはどうやらはずせるらしいということが判明した。尊敬している研究者を1人だけフォローしたら、変な人に思われて誤解されそうなので、別の知人も何人かフォローしたのだが、ある知人をフォローしようとした際、その方をフォローできないことに気づいた。詳しく調べると、リサーチマップには他人からのフォローを外せる機能があると分かった。これは大変だ。私が尊敬している研究者がこの機能を使用して、私からのフォローを外してしまうかもしれない。そうすれば、私はショックで立ち直れないだろう。もう何年も会っていないから、私が尊敬している研究者は、私のことを覚えていなくて、誰か知らない人にフォローされたと思い込み、私からのフォローを外してしまうかもしれない。また、覚えていたとしても、私とは関わりたくないと思って、フォロー停止機能を使用する可能性もある。どちらも悲しいが、後者なら特につらい。でも、自分がリサーチマップを通して、尊敬する研究者とつながれていることは本当に素晴らしい。努力して良かったと思うことの一つが、リサーチマップで尊敬している研究者をフォローできたことである。だから、フォローを外されないように祈りつつ、フォローの状況を定期的にチェックしよう。

リサーチマップで先輩のアカウントを見つけた、私はフォローしないけど

昨日も更新したのだが、大事件があったのでまた更新。このやる気を研究に使えと言われそうだが、大事件なので書かずにはいられないのだよ。リサーチマップの話は度々しているが、私の趣味の一つが、リサーチマップで知人のアカウントを見つけて近況を把握することなんだよね。知っている人の名前をどんどこどんどこ検索して調べる。今日、先輩の名前を入れたらリサーチマップのアカウントを発見した。よくしてくれた先輩だし、感謝はしているんだけど、そんなに誰彼構わずフォローしたら、フォローの価値が下がるので、フォローしないという決断に至った。リサーチマップというのは、他人から見られるので、世界的に有名だったりその研究分野で日本トップクラスの知人をしっかり厳選してフォローしなきゃね。ちなみに、私が尊敬している研究者は世界の学者から評価されている。また、先日フェイスブックで高校の同級生を見つけて友達申請した。フェイスブックの友達は少ないより多い方が良いし、その友達とは関わりが深いので、当然つながるべきだと判断した。フェイスブックというのはプライベートなもので、研究に関係しない。だから、どんどん知人を見つけて友達になっている。例えば、高校の先輩や中学の後輩などとつながっている。次の更新はいつするのか分からないけど、それまでに研究をがっつり進めたい。

新年度になった

新年度になって、あちこちで入学式のニュースを見聞きする。私の自宅近くの無名私立大学と系列の短大でも入学式が挙行されたらしい。そこは親に勧められて、私が全力で受験を拒否した大学だけど、頻繁にサイトを閲覧してしまうね。何故だろうか。もうずいぶん前のことなのに、心にしっかり刻まれている。さて、私は新年度になり、リサーチマップを更新した。業績が殆どないけど、更新すれば大仕事をしたような気になるね。生活には変化がないし、新年度になっても嬉しくはないけど、来年の春にはきっと新しい大学に編入しているはずだよ。博物館実習を終えて、さっさと卒業しようというのが、今年度の目標。研究もそれなりに進んでいるので。リサーチマップに業績を追加できるように頑張らなきゃ。でも本当に忙しい人というのは、リサーチマップに執着していないから、ほったらかしなんだけどね。私が尊敬している研究者が正にそう。書くことがなくなったので、今回はここで終了。

あれからのこと

先日、リンクトインで尊敬する研究者に間違ってつながりリクエストを送ってしまったが、無事に取り消すことができた。今はフォローだけしている状態で、相手からは何もアクションがない。さて、そろそろ次の進学先を考えなければならない時期になったのだが、2025年は通信制大学の設立ラッシュのようだ。住んでいる地域を超えて教育を受けられるというのはありがたいことだと思うし、進学の選択肢を広げるという意味で、通信制大学は有用だと確信しているが、学費の安さにも魅力がある。私は福祉学や心理学を学んでみようと思う。

リンクトインで尊敬する研究者に間違ってつながりリクエストを送ってしまいました

ブログの更新は4月に予定していたのだが、執筆するべき出来事があった。タイトルを見れば概要は分かるはずなのだが詳しく書くと、昨日の午後、間違ってリンクトインで尊敬する研究者につながりリクエストを送ってしまったのである。近況報告の記事では、尊敬している研究者につながりリクエストを送ると迷惑かもしれないし、承認してもらえなければショックで立ち直れないだろうと書いたのだが、プロフィールを見ていたら、間違えてつながりリクエストを送ってしまったのだ。フォローしているだけでも迷惑かもしれないというのに、つながりリクエストを送ってしまい、以下のことをとても心配している。まずは、リクエストを断られないかということである。これは先述したので詳細は割愛しよう。次に、家に苦情が来るのではないかということである。電話なりメールなり手紙なりで、いろいろと言われれば、リクエストを送ったことが家族にもバレてしまう。そうすれば確実に家族から批判されるはずだ。批判の内容は実名のSNSを使っていたことと、面識があるとはいえ相手は私をどう思っているのか分からない、尊敬していると直接伝えたことがないという状況で、つながりリクエストを送ったことである。特に後者についてはかなりいろいろと言われそうな気がする。勿論、苦情が来るようなことをした私に責任があるのだが、私の人間性や常識にも話が及ぶ可能性がある。家族は、その研究者と出会っていなければ、私が研究に興味を持つことはなく、親が勧めた大学に不本意とは思いつつ進学したであろうことや、私の人生に1番強い影響を与えたその研究者を他の誰よりも尊敬していることを知っている。また、家族もその研究者と面識があり、その研究者の業績が評価されるものであるだけではなく、人間としても信頼できる優れた人物であるというのが、家族と私の共通した認識である。そんな人に私が迷惑をかけ、不快な思いをさせたと知れば、批判は免れないのである。苦情も何もきていない今ですら、家族は私がその研究者の迷惑になるような言動、例えばその研究者の自宅や職場に押しかけるのではないかと本気で心配しているというのに、リクエストを送ってしまったことがバレれば何を言われるか分からない。ただただ苦情が来ないことを祈りながら、郵便屋さんのバイクや電話のベルに怯えている。ちなみに、まだつながりリクエストの返事はもらっていないのだが、関わりたくない相手からのリクエストは、承認も拒否もせずに無視するというのがスタンダードらしい。

近況

新年の目標を書いてから、ブログを投稿していなかったが、私には様々な変化があった。まず、ブルースカイ、マストドン、それにスレッズを始めた。混乱が続いているあのSNSから早々と撤退した私だが、同じようなSNSを探していたのだ。しかし、まだフォロワーが少なく、これからユーザー数が増えるかどうかをゆっくり見守るしかない。また、もう2月も末になろうしとているので、研究者専用のサイトにもログインして、自分のページを更新した。私の業績の少なさに悲しくなる。研究を頑張らなきゃ。先日も書いたが、尊敬している研究者をフォローしたので、気づいてくれることを願ってはいるのだが、研究が忙しく、その忙しさというのが更新も滞る程のようなので、私のことなど構っている余裕はなさそうだ。フェイスブックに加え、リンクトインも始めた。このSNSは、ビジネスに特化しているもののようだが、ここにも先述の尊敬している研究者がいたので、フォローしておいた。本当はつながり申請を送りたかったのだが、拒否されれば立ち直れないだろうと考え、フォローするだけに止めた。まだ使い方が分かっていないのだが、リンクトインではプロフィールを見られない、つまり閲覧を制限されているユーザーもいるようで、その理由がネットワーク外とかだんとかなのだが、幸いその研究者はプロフィールを公開してくれていたので、フォローすることができた。つながり申請をしなくても、私に気づいてくれるだろうか。もう何年も会っていないから、私のことなど忘れているかもしれないが、ブロックされてはいないので、迷惑だとは思われていないと信じたい。仮にブロックされたとしても、私のような人間がその研究者と同じ時間を共有でき、声をかけていただけただけでもありがたいと思わなければならない。そもそもその研究者と出会っていなければ、私は研究なんてしていなかっただろうし、自分の人生を自分で決めるという考えには至らず、好きなことを諦めていたと思う。我が家では就職や専門学校進学という選択は許してもらえなかったから、親の勧めに従って、福祉関係や教育関係の学科に進学し、立地も偏差値も知名度も学費も大学名や学部・学科名も、取得できる学位の名前も何もかもに満足できない大学を卒業し、自分に自信を持つこともなく、なんとなく就職してお給料をいただくためだけに働くという日々をロボットのように淡々と過ごすか、不本意進学した大学があまりにも不満で耐えられずに中退して家に引きこもっていたはずだ。そういう意味でもその研究者は、私が1番影響を受けた人物だと言って良い。最近、平日の夕方、医療系のテレビドラマの再放送を視聴して、あの頃は何をしていたとか、あの頃と今では、今の方が充実しているなどと考えることが多くなった。最後に、読書をする時間が増えている。それは勿論良いことなのだが、研究や在学中の大学の学習内容とは関係ない本ばかり読むので、時間をどう使うのか、それは本当に必要な知識なのだろうかと考えることが多い。勿論、研究や勉強に関連する本を全く読まないということではないが、時間は有限なのでもっと意義のある使い方をしたいとは思ってしまう。それでも、読書は辞められない。次の更新は4月の予定。